『大きな命に還っていく

 

 塵は元の大地に帰り、息はこれを与えた神に帰る

(コヘレトの言葉12章7節)

 

 

釜石には、鏡海岸という美しい海岸がある。

そこに案内してくれたのは、Tさんだった。15年前に私たち家族が大阪から釜石に来てすぐの5月に、「柳谷くん、海に行こうよ、海に」と嬉しそうに誘ってくれた。海のない町で育った妻と息子は「春なのに海?」と不思議そうな顔をした。大船渡出身の私にとって、海は泳ぐだけの場所ではない。そのことをTさんは知っていて誘ってくれたのだった。

釜石市街地から一番近くの海水浴場は「愛の浜」と呼ばれている。そこから、さらに道を進む。リアス海岸の海沿い、ぐねぐねと曲がった山道を上ったり下ったり10分くらい進んだだろうか。海が見えないところで車を降りた。クマが出てくるのではと思うような林があり、その林を抜けると海があった。200メートルほどの石の浜が途中で折れ曲がっていて海を囲む海岸線。石ころでできた浜の両側は、リアス海岸の頑丈な岩が取り囲んでいる。静かな透明感。澄んだ空気。海が凪いで鏡のように光っているのを見た人が鏡海岸と名付けたのだと思った。

その日以来、春夏秋冬、季節を問わず、私はいつも鏡海岸にでかけていった。街なかでの仕事を離れてほっと一息ついつ行っても誰にも会わず、一人きりで美しい海と向き合うことができた。疲れた時、心がもやもやしている時、静謐さに浸り平穏を取り戻すことができた。鏡海岸は私の聖地になた。

釜石の街が、大きな津波に襲われたのは、初めて鏡海岸に行ってから4年が経とうとする2011年3月11日だった。街の中あらゆるものを海水が押し流し、海底から細かい黒い砂が運ばれてきて隙間という隙間に入り込んだ。波をかぶった物を洗う時には、流しても流してもこの砂が溢れてきた。多くの命が奪われた。家々をはじめ多くの財産が奪われた。誰もが大切なものを失嘆き悲しんでいた。

津波から10日経ち、教会の仲間とようやく会うことができた。散乱している礼拝堂には入らず、玄関前にテーブルを出して、賛美の歌声を上げ、聖書の言葉を朗読した。その頃からボランティアの人たちがやってきて、教会や近隣の泥かきなどもしてくれるようになった。街の片づけは少しずつ進んだが、喧騒の中にいると疲れも溜まっていった。私たちには癒しが必要だった。それも、表面的なものではない、真の癒しが必要だった。

街が壊滅的だったのと対照的に、津波が戻っていった海は穏やかだった。海が陸に残していった傷跡、そんな悲劇が嘘であるかのように港は静かに海水を湛えていた。もっとも、海底には陸から引き連れて行った人工物が堆積しているはずだが、水面だけは津波が来る前と同じだった。
最初に鏡海岸のことを思い出したのは4月に入ってからだった。「鏡海岸に行きたい」私は思った。震災前に心を慰めてくれたあの浜はどうなっただろうか。

その日は、残念なことに鏡海岸にたどり着くことはできなかった。愛の浜に向かう道に津波で流された鉄骨が散乱していて車では通り抜けられなかった。どうしたらあの鉄骨を抜けることができるだろうと考えてみた。自動車ではまず不可能だった。義兄が貸してくれた原付ならなんとかなりそうな気がした。

4月25日の朝早く、避難所の仲間が目を覚ます前に出かけることにした。原付で愛の浜に向かった。鉄骨は片づけられずにそのままだったが、原付を横倒しにすると、地面と鉄骨の隙間にすっぽりともぐりこませることができた。私自身は鉄骨の上を乗り越えて、反対側から原付を引っ張り出した。愛の浜に向かう途中、映画「釣りバカ日誌6」のロケに使われた花の井ホテルがある。その駐車場に海抜20メートルという標識があるが、そこまで津波は来ていた。駐車場に津波をかぶった車が何台もあった。花ノ井ホテルも津波の被害を受けて窓が破られていた。鏡海岸まで無事にたどりつけるかどうか、心配になった。確かに、その後も難所がいくつかあった。津波の被害ではなく、地震で崩壊した崖からの落石と倒木だった。チェーンソーが必要だったかと思いながらも、やはり原付を横倒しにすることで先に進むことができた。

いつもの何倍も時間がかかったと思う。ようやく鏡海岸に着いた。いつも車をおく場所に原付を停めた。そこも津波で舐められた跡になっていた。海を隔てていた林は姿を消し、そこから直接海が見えた。わずかばかりの人工物はすっかり流され、木々もあらかた倒し尽くされていた。てっぺんを海のほうに、根っこをあらわに倒されている大木たち。幹が途中で折れて膝や背の高さくらいで引き千切られている木々。折れ曲がった先が斜めにたれさがったもの。先が完全に持っていかれたもの。木肌が山側だけはげているのは、引き波の強さを物語っているのだろう。

の海もやはり牙を剥いたのだった。そして、陸上のものを飲み込み、奪い去っていったのだった。

浜まで歩いてから後ろを振り返り、木々に向かって問いかけた。「おめだぢも、こえがったがーぁっ?」(お前たちも、怖かったのかー)

沈黙のなかから、返事が聞こえた。

「なぁに、海に還っていくだけさ。」

どこから聞こえたのかと(いぶか)っている私に、その言葉が何度も響いてきた。残された枝々もささやいているようだった。

「海に還っていく」

大きな地球の歴史、宇宙の歴史から見れば、ただそれだけのことなのだ。

景色が全くかわって見えた。

 

 (新生釜石教会だより2022年夏号~「福音メッセージ」より抜粋)